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【巨匠のレビュー】『第三の男』/現代の水準だけで語ることに引け目を感じるぜ

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名作なのに睡魔が…

せっかくラグビーワールドカップの3位決定戦をテレビで見ようかと思って夕方の6時から2時間予定を空けてたのに、蓋を開けてみたら地上波での放送がないって言うんだよ。上皇様ご夫妻も会場でご臨席されたというのにそれを放送しないとはテレビ局の連中は本当に非国民だね。まあ今に始まったことじゃないと思うけど、だから仕方なくその2時間を有効活用すべく例のAmazonプライム・ビデオを開いて適当に映画を詮索してたら、名作の誉れ高いと聞く『第三の男』が目に入った来た。

それでちょっくら詳細を確認してみると再生時間がそう長過ぎない100分ときている。ヨシ、これくらいなら老体のオイラの集中力も持つだろうと見始めたら、これがこれが途中で瞼が重くなってきてさ、見るのを一旦打ち切って仮眠しちゃったじゃないの。

映画館だと「ちょっと寝るんで止めてください」なんて言えないから、金も払ってる分歯を食いしばってでも目を見開くんだけど、自宅での動画配信だから近くにベッドもあってすぐに心が折れちゃったよ。

まあその日は早朝から「風雲タキノ城」の収録もあってオイラが寝不足だったって事情もあるんだけど、その眠気をもぶっ飛ばしてくれるほどの作品でもなかったってのが正直なところだね。

つまらなかったかと言えば…うん、つまらない。じゃあ名作じゃないのかと言われれば、これは難しい。名作であるか否かという点に関してはオイラは判断を保留せざるを得ないよ。

縦軸でしか見れない弊害

つまらないというのはあまり昔の映画を見ず、現代の進んだ映像技術や演出技法に慣れ親しんだオイラの感想であって、1949年製作のこの作品にその現代的な水準でもって一方的に裁くのはアンフェアだと思うからさ。

スポーツでもそうじゃない。サッカーのワールドカップ(W杯)史に残ると言われる数十年前の試合が、現代のプレッシングサッカーのスピーディーな展開に目が慣れちゃっている今ではすごく緩慢でつまらない試合に見えるのと同じでさ、過去から現在の時間という縦軸だけで判断すればそう見えるのは当然なわけ。

でもその試合は当時の平均的な水準を遥かに逸脱した人々が語り継ぐほどの立派なものであるということもまた事実なんだ。そういった同時代性という横軸も考慮してさ、本来は作品を評価しなきゃいけない。

ただそれでも世界の映画史のトップ10にも入って来ようかという作品との評判を聞けば、そんな時代性をも超越するくらいの面白い作品かと思って期待しちゃうじゃない。それが見てるみるとシナリオに捻りもなく、キャラクターも深みがない。オマケに白黒だからいくら場面転換をしても目に色味が入って来ないから、オイラの脳みそもおねんねの時間だと勘違いしちゃったのよ。

人物描写がほとんど台詞だけ

演出の技法が今ほど発展していないのか、とにかく絵にあまり動きがない。そこに台詞だけをベラベラと乗せるから全く紙芝居のようなんだ。主人公が誰かと出会って話をし、そこから違う誰かを紹介されてまたそいつと話をする。で、一応はミステリーだから筋道を明確にしながらストーリーが進行していくんだけど、そこに重心を置き過ぎているためか人物描写がほとんど台詞だけで片付けられている。

主人公のホリーは小説家という肩書きなんだけど、どう見てもお節介なオヤジにしか見えないもん。ちょくちょくその作品名やファンが現れるけど、物語的にはそう必然のある絡み方じゃなかったし。登場人物が「俺は小説家だ」と言って言葉だけで済ませるのと、しっかりと机に座って原稿用紙に向かい合っている行動を絵として見せるのとでは映画という芸術においては人物の肉感が全く違ってくるんだ。

ヒロインの舞台女優アンナもそう。女優らしいシーンは登場時の劇中劇だけでさ、その1つでもってエクスキューズ的にキャラ付けを施したような感じになっている。他にホリーと台詞の読み合わせをする細かなシーンなんかはあったけど、女優としての生活感が立体的に立ち上ってくることはなかったよ。

そういう風にとにかくストーリーの進行にあくせくする余りに人物の所作が疎かになっているから、シーンシーンがどうも急ぎ足に見えてくる。

「第三の男」がモヒカン級?

話は第三の男が死んだはずの友人ハリーだったということからようやく大きく動き出すんだけど、このハリーがまた一面的で薄っぺらい人物なのよ。ホリーはイギリス軍の少佐から「悪党だから死んで当然の男だ」なんて言われたハリーの名誉を回復すべく散々頑張ってたはずなのに、再会してみたら大した葛藤もなく悪事に手を染めた裏表のないただのクズだったんだから。

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一応は「第三の男」とタイトルにもなっている人物なんだから、このハリーという男くらいはそれこそ悪人であっても主人公以上に深く掘り下げて、重厚で複雑な人間として描くべきじゃないの。もっと言えばこのハリーという人物が作品全体のメタファーとなるようなくらいにさ。それなのに暗闇で光を浴びてラオウ(『北斗の拳』)のように勿体ぶって出てきたくせに、中身が火炎放射器を持ったモヒカンのような薄っぺらい悪党なんだから、もうズッコケちゃったよ。

最後の下水道での鬼ごっこも逃げているのがこの悪役のハリーだから緊迫感もないし、音楽もコントみたいにあざとい。アングルやら光の使い方だとかも絶賛されているらしいけど、現代を生きているオイラには何も新鮮に映るものはなかったね。

ムーンサルトをコケにする愚

ということで以上がオイラの率直な感想となるんだけど、それは初めにも言ったように72年のミュンヘン五輪の塚原光男のムーンサルトに、J難度まである現代の体操競技の尺度を持ち出してコケにするようなもんでさ、横軸も交えて語らないとこの作品の価値を正当にキャッチすることはできないよ。

だから色々と文句は垂れてきたけど、縦軸の視点しか持ち得ないオイラは少し引け目を感じてはいるんだ。当時の水準や環境からしてみれば映像もシナリオもかなり秀逸で、これが走りだったっていう後世に影響を与えた工夫があったのかもわかんないしね。

ただもっと古い41年に製作された同じくオーソン・ウェルズが出演してた『市民ケーン』を見た時にはそんなに気にかかる所がなかっただけに、この『第三の男』がガチで過大評価である可能性も排除できないんだけどね。

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