コロナ禍によりJリーグが中断していることから、巷では暇つぶし企画として過去の著名選手や識者、果ては芸能人までもが個人によるJリーグ歴代ベスト・オブ・イレブンを発表しているようだが、彼らが口に出す面々がいかにもミーハーで、眩暈がするほどにマニアな見地が欠けてる。
そこで私が諸君らが当サイトのレポートを貪り読んで積み上げてきたマニア・オブ・ビューが退化しないよう、私が考える真のJリーグ歴代ベスト・オブ・イレブンをここに提供したいと思う。
<GK>
クシシュトフ・カミンスキー
やはり日本人にとって鬼門のポジションであるGKには外国人選手の選出となった。このジュビロ磐田の守護神(昨年で退団)は2017年にはリーグ最少失点記録を更新し、チーム練習ではその図抜けた身体能力と反応速度で同僚である中村の俊さんが放った完璧なFKをセーブし、彼に「ショックだったと」と言わしめた
<DF>
フェルナンド・ダニエル・モネール
横浜フリューゲルスでJリーグの創成期を盛り上げた、陽気で愉快なアルヘンティーナだ。ゴール後に見せたモネールダンスは90年代初期の日本のダンスブームの火付け役となり、フッボル選手としてのみならず文化の担い手としての貢献度は見過ごすことができない
シジクレイ・デ・ソウザ
Jリーグで様々なクラブを渡り歩いた実力派センターバック。2004年に移籍したガンバ大阪では翌年にキャプテンマークを巻き、攻撃重視のチームスタイルの中にあってDFラインを統率し、クラブ初のリーグ制覇において影の立役者になった
イリアン・ストヤノフ
2005年にはJリーグのベスト・オブ・イレブンに輝いた日本では珍しいブルガリア人プレーヤー。所属していたジェフ市原では監督のオシムと対立したが、裏返せばそれは自身に確固たる戦術眼があることの証左で、そのインテリジェンス溢れる守備でチームに安定をもたらしていた
<MF>
フレドリク・リュングベリ
アーセナルでは右サイドを献身的なランで支配し、インビンシブルズの一員として一時代を築いた名ダイナモ。2011年に清水に加入した時には既に往年の輝きはなく失望だけを残して去ったが、ビッグネームが不足していた当時のJリーグにもたらしたインパクトは絶大だったと言える
小野伸二
説明不要の日本史上最高のタレント。ファン・ペルシやスナイデルといったワールドクラスからお世辞抜きの称賛を受けるその柔らかな足元は、所属していたフェイエノールトファンからベルベットとも称された。実質、消化試合であったフィリピン戦の大怪我も悔やまれるが、高校卒業後にアヤックスに入団していれば、さらにその才能の大輪が花開いたであろうと思わずにはいられない
田坂和昭
日本フッボルにおいて地味なポジションであるボランチに日の目を見させた選手の一人。プロ入り後はすぐにJリーグの新人王を獲得し、高い守備能力とクレバーなボールの配給で玄人を唸らせた。招集された加茂ジャパンにおいて不適切なポジションで起用されたためにフォームを崩したが、湘南ベルマーレの象徴は中田英寿よりもこの男だった
アンドレス・イニエスタ
バルセロナでは無上の栄華を極め、世界のMF史上でもベストの一人と数えられるマエストロをJリーグの歴代ベスト・オブ・イレブンに加えない選択肢はない。ヴィッセル神戸に加入後も無冠だったチームに既に2つのタイトルをもたらし、未だ世界中どこのクラブでもスタメンを張れるだけのクオリティーとマジックを維持し続けている
<FW>
岡崎慎司
清水エスパルスで頭角を現し、ドイツ、イングランドというフッボル大国でもしっかりと爪痕を残した泥まみれの点取り屋。小柄でありながらも空中戦には強く、試合を通して常にチェイスを怠らないその献身性は敵味方を問わず見る者に感銘を与えてくれる
サルヴァトーレ・スキラッチ
Jリーグの初期にジャパンマネー欲しさにやって来たビッグ・オブ・ネームが軒並み低調な醜態を晒す中で、90年イタリアW杯の得点王はしっかりと結果を残した。チーム内の紅白戦で自身のポジションに割り込んできた武田修宏を殴打して前歯を折ったそのエゴイズムは、日本人ストライカーが世界に羽ばたく上で何が足らないかを強く示唆してくれている
アルシンド・サルトーリ
言わずと知れたミスターJリーグ。93年のJリーグ開幕年、第1節後に戦線を離脱したジーコに代わって鹿島アントラーズを牽引し、1stステージ優勝に導いたブラジル人ストライカー。その決定力とロングヘアーで瞬く間にお茶の間をざわつかせ、ジーコと共に今日の常勝軍団の礎となった