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Jリーグ 名将のコラム

引退トーレスの見事な引き際 名将の記憶に2010年の伝説の引退試合が蘇る

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geralt / Pixabay

「自分の求めるレベル」という言葉の迫真性

ボンジョールノ、諸君。

サガン鳥栖に所属する元スペイン代表のフェルナンド・トーレスが23日、引退会見を開き自らの口で現役を退く意向を表明した。

J1鳥栖の元スペイン代表FWフェルナンドトーレス(35)が23日、都内で引退会見を開いた。現役最後の試合は8月23日のホームでの神戸戦と発表した。また、現役は引退するものの鳥栖にはアドバイザーとして残ると明言した。引退の理由に自分のプレーが自分の求めるレベルに達していないことを挙げた。

(デイリースポーツ)

さすが一流だ。引き際をわきまえている。

「自分の求めるレベル」という言葉を並みのプレーヤーが使用すればただのロマンチシズムに成り下がるが、無敵艦隊のエースを担っていた男が使用すればそこに強い迫真性が帯びてくる。

「エルニーニョ現象」の語源?

下部組織を経たアトレティコ・マドリードで頭角を現し、リヴァプールでもゴールを量産し続けたその決定力でスペインのワールドカップ優勝とEUROの連覇にも貢献。その熱くも神々しいプレーはエル・ニーニョ(神の子)とも称され、熱帯太平洋の東部で平年よりも海面水温が高くなる「エルニーニョ現象」の語源になったとの説もある。

そんな彼の引退試合はスペインの栄光を共に分かち合った盟友イニエスタ、ビジャがいる8月23日のヴィッセル神戸戦に設定されたということだが、エモーショナルな空間になることはまず間違いないだろう。

その引退試合に関連してだが、諸君らの心に残る引退試合といえば何になるだろうか。やはり身近なJリーグで、古いところではストイコビッチ、最近では川口能活などだろうか?

当の私はと言えば、過去の名選手たちの引退試合に思いを馳せてみると、やはり2010年のあのV戦士の引退試合が濃く眼前に立ち上ってくる。現在の阪神タイガース監督、矢野燿大(当時は輝弘)の同年9月30日の甲子園最終戦に行われたあの伝説の引退試合だ。

スポーツの厳しさが教えたはずが…

阪神が3―1と横浜をリードして迎えた9回。絶対的守護神の藤川がまさかの無死1、2塁のピンチを招く。2死になればキャッチャー城嶋と代わり矢野が最後の雄姿を見せるという算段だったが、打者の村田が空気を読まずに藤川の剛速球をスタンドへ逆転3ランを見舞ってしまう。

逆転された阪神は優勝争いが佳境であったために勝負を優先せざるを得なくなり、矢野の最後の花道は立ち消えとなってしまった。私はこの光景をサン・オブ・テレビで眺めながら改めてスポーツの厳しさや過酷さを痛感したのだが、後年の村田の話によれば何とこれは空気を読んだ末の悲劇であったことが明らかになったのだ。

村田氏は当時を振り返って「あのときは4打席目ぐらいで回ってきたんですけど、球場も矢野さんの引退試合の雰囲気で、『これ俺、また打っちゃったらヤバいな』と思いながら(打席に)入りました」。主役の座を奪う気はなかったと言うが、「『この辺を振れば三振するだろう』と思って、軽くポンと振ったら『当たっちゃった!』みたいな」と苦笑した。

地元関西の名物アナウンサーが「行くな、行くな、越えるな!」と実況したことがネットで話題となったが、村田氏は「僕も走りながら『行くな、ヤバい、ヤバい』『あー、行っちゃったよ』って思ってました」と明かした。

(サンスポ・コム)

一体どうしてくれるんだ。私は世界中でフッボル教室を開く度にこの映像をキッズらに見せては、勝負の世界に生きるとはどういうことなのかを熱弁してきたのに、これが忖度の賜物であったということであれば、私は純粋な少年少女たちに嘘をついていたことになるじゃないか。

男村田よ、君の不用意な告白が私をペテン師にしてしまったのだ。

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