新元号の発表
ボンジョールノ、諸君。
フッボル以外に社会的かつ政治的関心が微塵もない諸君らに伝えてやると、日本の
新元号は「令和」、「令の和」
となった。
政府の説明によれば『万葉集』の「巻五 梅花の歌三十二首并せて序」にある
「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」
という歌を典拠とするらしい。元号が日本の古典から選定されたのは確認できる限り初だそうだ。
ちなみに上記はWikipediaからそのまま転用したものだが、発表されてものの数分でWikipediaに「令和」の記事が作成されていたことを思うと、私が言えた立場ではないが世に何と暇人の多いことか。
新元号にも宿るサッカーミステリー
ところで諸君らはこの新元号に対してどのような態度で接したのだろうか? おそらくは何か新しい時代の息吹を感じたり、または平和への思いを新たにしたりしたのであろう。なるほど、そういった感慨に耽るのも悪くはない。しかし余りに情緒に偏り過ぎては現象に隠された重要な本質を見落とすことになる。
私は以下の記事などで、フッボルとは森羅万象の至る所に宿っていると諸君らに再三にわたり教授してきた。
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無論この新元号の発表もその例外とはならず、日本政府はこの「令和」という文字にフッボルミステリーを仕込んでいたのだ。
政府がサッカー協会に圧力?
ただそのミステリーレベルはと言えば、フッボルの門外漢である学者連中が作っただけに決して褒められた水準ではなく、私のレポートを上役との会議中ですら盗み読んでいる諸君らの上位5%のマニア・オブ・ビューラーならば容易に解読することができるはずだ。
それでも残り95%の出来の悪い諸君らは解読の糸口すら掴めていないであろうから順を追って説明をすると、まずは令和の「令」の字だ。これは司令官の令でもあり、フッボルで言えば監督を意味する。
次に「和」だが、日本のフッボル関係者が和という字を眺めて連想する人物は誰なのかと考えてみればいい。そう…三浦和良、キング・オブ・カズその人しかいない。
つまりこれは日本代表監督にカズを就任させろというメッセージであり、政府から日本フッボル協会に向けられた圧力と見ることができるのである。
どうやらキリンチャレンジカップで無策を呈してしまった森保監督には政府内にも不満があったらしく、国が露骨に協会へ干渉を行えばFIFAから制裁を受ける恐れがあったため、このような新元号に絡めた回りくどい手法となってしまったのだろう。
何はともあれ、令和の御代が良き時代となることを祈るばかりだ。
<編集者より>日本語能力には定評のある名将ですが、どうやら三浦「知」良のカズを「和」と誤認していたようです。