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洋画 巨匠の映画評

【巨匠のレビュー】『ファースト・マン』/緻密な作りで逆にアポロ計画捏造説を信じてしまうぜ

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田代まさしよりもすごいニール・アームストロング

田代まさしがまたまた覚醒剤の所持でパクられたらしいね。でもこれを言っちゃ不謹慎かも知んないけど、心のどこかでそれを期待していた自分がいたことも確かだよ(笑)。君たちもそうだろう? 正直に白状しなさい。再犯を繰り返す田代にテレビのコメンテーターとかが「これが覚醒剤の怖さです」なんて殊勝なことを言ってたけどさ、アイツらも心の底では田代の転落人生を興味と嘲笑でもって眺めているはずだよ。

「人の不幸は蜜の味」だって言葉もあるくらいだし、他人事とした場合に人間が一番感興をそそられるものは悲劇だからさ。まあ田代に限ってはネット上で人間を超えて神になっちゃってるんだけどね。

その田代本人も完全に開き直っては自分でも神と称していたけど、そもそもなぜ自分が神と言われているのかがわからないから対談で2ちゃんねるの創始者ひろゆきに尋ねてみたら、そのひろゆきが「1個悪いことする人って悪い人じゃないですか。それで、2回目に悪いことやった人ってすごく悪い人なんですけど、3回目行くと一周しちゃってもういいやこの人っていったポジションにいけるんだと思うんですよ」と適格な考察を返してたのには笑っちゃったけど、この『ファースト・マン』という映画は月に1回行っただけで神というか英雄になった宇宙飛行士ニール・アームストロングの話だね。

でもその1回が人類初にしてとんでもない偉業だったわけで、地球の片隅で盗撮をした挙句に「ミニにタコ」と口走り、クスリをキめて違う宇宙に行っちゃった田代と比べるのは罰当たりもいいとこだけどね。

無知識でフグを食べるような宇宙探査

この映画は『ラ・ラ・ランド』で名を馳せたデイミアン・チャゼル監督の3作目で、前作のミュージカルとは一転して静かな作品になっている。アポロ計画の話だから何だか派手な話になるのかなと思ってたんだけど、じっくりとドキュメンタリーに近いタッチで抑制的に描き、それがすごく重苦しい絵を醸成してはこの映画の質を高めていたよ。

月面着陸なんて側から見る分には華々しいものだろうけど、現場の人間にとっては知識がないままにフグを食べるようなものだったろうからさ。血を舐めては倒れ、肝臓を食っては倒れ、そうした犠牲を重ねながらも地道に調理方法を確立していくといった感じで、アポロ計画もそうした命懸けの試行錯誤の繰り返しであって、宇宙に対する認識もオイラみたいな部外者は「きらきらひかるお空の星よ♪」なんて呑気な歌も歌えるけど、彼らからしてみればそれこそ何人もの同僚が命を落としてきただけに人間を捕食する怪物のようにも見えてたんじゃないのかな。

だからある種のホラーだとも感じられたし、月というものを懸けた人類対宇宙のせめぎ合いのような感もあった。時々ニールが夜空の月を見上げるシーンがあるんだけど、それを囲う宇宙の暗闇がどうもおぞましく見えてくるの。冒頭のテスト飛行の機内やジェミニ計画の船内で機器がガタガタと故障してニールが必死に制御を試みるシーンでも、それはもちろん内部的な要因ではあるんだろうけど、何かこう宇宙という魔物が外部から自分の領域に踏み込んでくるものを邪魔しているような、そんな人類と宇宙との対立構造が巧く炙り出されているんだ。

そうした宇宙飛行士の宇宙に対するシビアな認識や観点をオイラみたいな素人に等身大で実感させたことは大いに評価できるよ。だからこそニールが自分の命や家族を顧みずに月に行きたかった理由をもう少し明瞭に描いて欲しかったところだね。

地上にいながら宇宙を彷徨う

米国がソ連に対抗した国家プロジェクトとして月面着陸に固執したのはわかるんだけど、ニール自身の個人的な宇宙への思い入れがNASAとの面接時に発した「地上からは広大な空が宇宙から見た時には小さな大気圏に過ぎず、そのことによって世界を見る視点が変わったから」的な言葉だけで、それ以上は特に改まった描写がなかったからさ。

でもそれに関しても見る側としてはこじつけというか幾面にも解釈ができるような余地があったことも事実で、映画が始まってすぐにニールの2歳の娘カレンが病気で死ぬんだけど、以来彼はずっと沈鬱で家庭の中にあっても孤独の中にいるように見える。月面着陸に成功したアポロ11号に乗り込む直前にも妻に強く促されるまでには2人の息子には何も語ろうとしなかったように、どこか地上にいながらも虚無という宇宙を1人彷徨い、娘を探しているような感じがするわけ。

それは遺族が震災とかで行方不明になった家族をあてもなく被災地でその姿を探す心情のようで、心のどこかでは死んでいると思ってはいるんだけど、遺体でも形見でも見つけて切りを付けたいと言うか、次に踏み出すための何かきっかけとなるものを求めているんだよね。でも見つけてしまうとそれこそ死が確定してしちゃうから、そこまで強く見つけたいという気持ちでもない。

それに近い心情を画面のニールから汲み取れるんだ。カレンの死を認識はしているんだけれどもどこかでそれを受け止められない自分もいる。そんな中でアポロ11号の船長に選ばれて、月面着陸というものが結果的には娘の死を受け止め、現状から一歩外に踏み出すための転機となった。つまり宇宙への思い入れや勇気が月面着陸成功へと導いたわけではなく、娘の死という喪失感や自暴自棄が逆に宇宙や自分の死への恐怖を和らげ、ニールをファースト・マンたらしめた。

と、一応はそれらしい解釈はしてみたんだけど、本当のところはよくわからないよ。無論その解釈はこの映画内だけのことであって、そもそもニールが月面のクレーターにカレンのネックレスを置いてきたこと自体が創作らしいからね。ただあながち嘘とも言えないらしく、ニールが宇宙船から60mほど離れたクレーターに向かい、そこで何かをしてたってのは本当だってね。でも何をしてたのかは一切誰にも明かすことなくその生涯を終えちゃったから、言うなればそこに創作を埋め込む余地が生まれたってことだね。

聞けば実際のニールも口数が少なく自分を曝け出さない人物だったそうで、序盤は主人公としてはちょっと暗すぎるんじゃないかとも感じるんだけど、何か中盤からその胸に秘めた喪失感やら虚無感がじわりと画面に浸透してきて、台詞に頼ることなくその佇まいからも複雑で内向的な人物を“イキイキ”と描けていたよ。

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まさかの皮肉な結末

この作品の映像としての見どころはクライマックスの月面着陸なんだろうけど、そこには特に際立ったものは感じなかったかな。まあ昨今の映画はCGも発達しているから色んな映画が月や宇宙をリアルに描いていて見飽きた上に、実際の白黒の映像が残っているからその生々しさに比べればいくら綺麗に撮ったとしても臨場感としてはやはり見劣りするよ。

まあそんなことを言いつつも今回は何だかいつもと違って不思議と甘い言葉が並んじゃったけど、その要因を探ればオイラがあまりこの手の月面着陸やアポロ計画に詳しくなかったってのもある。だからNHKの「プロジェクトX」を見るような感覚で映画というよりは教養として見ちゃって、2時間強の上映時間が全く気にならなかったからね。ただ月面着陸までに色々と困難な作業を見せつけられたから、それが困難を極めるほどに却って本当にこんなことを当時の技術で成し遂げたのかと不思議に思えてきちゃったのよ。

アポロ11号に搭載されたコンピューターは80年代のファミコンレベルだったっていう話だし、どうも現実味がなく胡散臭く感じるね。ということでオイラは月面着陸に関しては事実なんだろうという漠然としながらも肯定的な立場だったけど、この緻密で精巧な宇宙科学を扱った映画のせいで逆に月面着陸捏造説に立ってしまうという皮肉な結末になってしまった(笑)。

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