若いねーちゃん曰く「つまんない」が…
何だか最近の若いヤツらはあまり映画館に足を運ばないんだってね。行ったとしても行儀よく2時間もじっとしていられなくて、少しでも退屈なシーンがあればすぐにスマホを開いちゃうらしい。この間も若いねーちゃんと話してたら、「私も人に囲まれながら2時間もスクリーンを見続けるなんて無理。ずっと前に『カメラを止めるな!』が面白いって聞いてたから見てたんだけど、つまんなくなって風呂に入っちゃった」なんてぬかしてたけど、風呂に入ったってそれはただの自宅鑑賞だろ、バカヤロ! 映画館についての話をしてたのに急に会話の文脈を逸脱しちゃうんだから、最近の若者は…と言いたいところだけど、会話のキャッチボールがままならない人間はどの世代にもいるから、これに関しては個人の問題という他ない。
ただこのねーちゃんの一見能天気な発言にはオイラも少し思うところがあって、彼女が引き合いに出した『カメラを止めるな!』って映画は確かにつまんないとは思うのよ、1人で自宅鑑賞をしていれば。でも大人数で同じ映画を眺める劇場という空間では面白い。
まあコメディ映画が一般的にそうであるんだけど、お笑い的には浅いネタであっても誰かのふとした笑いが火種となって周囲にも伝播して大きな笑いになっていくように、映像としての実態以上に映画を面白く見せてしまうんだ。それは劇場という特殊な空間の賜物であって、『カメラを止めるな!』はその効果を強く捉えた作品だと言える。
ヒットの一翼を担ったインディーズという武器
この映画は後半に笑えるシーンを畳みかけてくる構造で、火薬庫が発火したように笑いが笑いを誘引してその勢いのままに幕を閉じていくから、それが爽快感のある余韻を引き出して口コミとなり、大手の配給じゃない無名のインディーズ映画という判官びいき的な補正もあって評判となったんだろうね。
それでこの口コミやSNSという広がり方もヒットの一躍を担ったことはおそらく間違いない。低予算映画だからトレーラーがメディアに流れていないこともあって、ほとんどの観客がワンカットのゾンビ映画という謳い文句しか知識を備えずに映画に入れたことが大きかったと思うよ。上に貼った予告編を見るとゾンビのシーンが劇中劇ってことがわかって、この映画の大きなツイストであるはずの入れ子の構造がネタバレしちゃってるからさ。
全編がワンカットのゾンビ映画だと思って見るのと、劇中劇(映画内では生放送ドラマ)という2段構成と知った上で見るのとでは観客の緊張感は全く違ってくる。前半を本当のゾンビ映画だとして没頭させるから後半のメイキングシーンが種明かしとして生きてくるんであって、ハナからそれが劇中劇であることがわかっていれば、微妙な間や不自然な台詞やアクションの理由がおよそバックステージにおけるトラブルだと認識させてしまい、後半部分の鮮度や勢いが予定調和に映って、この映画の持つ特性が打ち消されてしまう。
例のねーちゃんはテレビでの放送で映画が始まる前の作品紹介で既に入れ子であることを知ってしまったらしいから、そりゃ面白さも半減するだろうし、後半のメイキングシーンの様々なトラブルも典型的なシチュエーションコメディで笑いのレベルとしては月並みだから、1人で見ているとつまらないドタバタ劇を見せられたような気分になったんだろうね。
条件次第で凡作に成り下がる危うさ
つまりこの映画は①無名の監督と俳優らで作ったインディーズ映画であることを知った上で②本編への予備知識を持たずに③劇場で鑑賞する―からこそ笑いや感情の高ぶりが醸成されるのであって、そのうちの1つでも条件が欠ければ、ねーちゃんのように人によっては途中で見るのを止めるくらいの凡作に成り下がる危うさも持ち合わせているんだ。
オイラだって昨年の全国公開当時に全ての条件をクリアした上で見たからまだ面白く鑑賞できたけど、これがテレビとかで家で視聴していたらかなり評価は違ってただろうし、Amazonプライム・ビデオでも無料作品として挙がってはいるけど、劇場でならまだしも自宅でもう一度見たいとは思わないからさ。1回で十分。
中には劇中劇ということを理解した上でもう一度ゾンビのワンカット部分を見返したいって人がいるかも知んないけど、結局それは「ネタ」に対する「振り」の再確認という解釈が定まったコメディのからくりに対する興味であって、オイラがもう一度見たいと思うものは多様な解釈ができる映像そのものに何か含蓄のある、解釈をこちら側に委ねてくるような映画だから。
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思索に堪えるタキノ映画
撮る時だってそうだよ。デヴィッド・フィンチャーが「自分の映画は劇場で見るよりも、何度も見られるDVDに向けて作られている」とか言ってたように、オイラもそこまでの意識はないにせよ映画を通して明快な解答や主張を押し付けようとは思わなくて、何か自分でも掴みようのない直感や感性を映像にそのまま乗っけて、それをどう捉えるかは完全に受け手の側に任せちゃう。何かひっかかりがあればもう一度見直してもらって、その時の感じ方によっては1度目の鑑賞時とは異なる印象が立ち上ってくるような、そんな思索に堪えるものを作っているわけ。
そうしたオイラの主義からすればこの『カメラを止めるな!』はそれこそ繰り返し見れるような代物じゃなく、劇場でかつ初見でしかその輝きが現れない花火のような映画だけれど、それは一方でまた如何にも映画らしい映画だという感もあるの。撮り方にしろ役者にしろ拙さは見えるし、映像としては一部の素人評論家からは嫉妬交じりの攻撃の対象にされそうな出来ではあるんだけど、スクリーンと客席とが舞台のように渾然となって、楽しさや喜びを共鳴し合うエンタメ性溢れる空間芸術だということを足が遠のいた最近の若者に認識させた功績は大いにあると思うよ。