FIFAをぶっ壊す(ニッコリ)!
18日に同じ2部B(3部相当)に所属するブルゴスと開幕直前のテスト・オブ・マッチを行ったカスティージャ(レアル・マドリードB)は2―3と試合には敗れたものの、エースのレアル久保建英はプレー面以外にも以下の記事のような異彩を披露してくれた。
動画付きでこの場面を紹介した『AS』紙は、こう綴っている
「クボは、ブルゴスとカスティージャの小競り合いに加わった愚か者かと思われたが、まったく違っていた。ゲーム中にあまり輝きを見せなかった日本人は、最後の口論の場面で、とても穏やかに行動していた。彼は平和な心を示したのだ」
またこのシーンを見たファンからは、「ノーベル平和賞ものだ!」、「愚か者と純粋な日本人」、「彼に平和のバロンドールを!」といった称賛の声が寄せられている。
(サッカーダイジェストWeb編集部)
しかし私はメディアのこの報道姿勢には憤りを禁じ得ないでいる。
確かに動画を見る限り、レアル久保の和を尊ぶ日本人らしい仲裁力には特筆すべきものがあったが、だからと言って「ノーベル平和賞もの」はないだろう。
諸君らはノーベル賞と聞いて安易にその印象だけで褒め言葉だと受け止めているだろうが、ノーベル平和賞だけは殊更趣が異なっている。
平和賞こそはFIFAの腐敗精神にも通じる政治と欺瞞の産物であり、その証拠に昨年の候補者を思い出してみるがいい。
・トランプ米大統領
・金正恩朝鮮労働党委員長
・文在寅韓国大統領
アウト・オブ・レイジの次回作に登場しても何ら違和感のない面々ではないか。そこに並べてレアル久保を配置するなどは、侮辱と言わずして何と言おうか。
レアル久保は選手らの諍いを巧みなスペイン語で仲裁した聖人君子のような青年であり、例えるにそれは古代中国における孔子のような人間性なのだ。
ん、孔子…。そう言えば、どこかに「孔子平和賞」なる賞があったはずだ。それだ。それこそがノーベル平和賞などといった政治的な玩具より、レアル久保が受賞するに相応しい賞と言えるのではないだろうか。