ボンジョレー・ヌーヴォー、諸君。
日本の各地を放浪していてマクドナルドの呼称が地域によって異なることに気付いた。主に関西圏ではマクド、それ以外の地域ではマックと呼ぶのがどうやら一般的らしい。ちなみにイタリアではメックだが、私に限っては常にマクド・オブ・ナルドだ。
なぜサラーはイタリアではベターだったのか
モハメド・サラーが好調だ。21日に行われたプレミアリーグ第18節でリヴァプールはサラーの1ゴール1アシストの活躍でウォルバーハンプトンを2―0で下し、開幕から15勝3分けと無敗のままクリス・オブ・マスを迎えることになった。
昨季はプレミア史上最多タイのシーズン31ゴールを記録し、PFA年間最優秀選手賞も受賞するなど大ブレークを果たしたサラーだが、今季の序盤はチャンピオンズリーグ決勝で負傷した肩の影響もあってか低調な滑り出しとなり、フッボル界の「大事MANブラザーズバンド」かとも想起させた(氏は日本の「一発屋」にも詳しい)。しかし気付けば既に11得点で個人ランキングのトップを走り、仮にリヴァプールが優勝することにでもなれば、この21世紀にもう一人の教祖ムハンマド(モハメド)が誕生するかもしれない。
イングランドでは今やワン・オブ・ベストな存在ともなったサラーだが、なぜイタリアではベターな選手に燻り続けていたのか、諸君らも不思議に思っていることだろう。識者や評論家の中には、プレミアの水が彼に合っていたのだというような余りにも印象論的で素人じみた論評をしている者もいるが、的外れもいいところだ。
キーパーソンとなった長友
その実態は全くの逆だ。プレミアの水が合っていたのでなく、セリエAが彼にとっての墓場だったのだ。なぜ私がそのように断定するのかと言えば、この私がイタリアでサラーの対処法を白日の下に晒してしまったからである。そしてそのきっかけとなった人物がいる。それが諸君らもお馴染みのユート・ナガトーム(長友佑都)だ。
あれは2015~16年シーズンだった。当時インテルに所属していた長友はサイドバックが余剰人員となっていたことから出場機会が減少し、途中出場した試合でも失点に絡むなどどん底の状態にあった。それでも彼はハポネス(日本人)らしく腐らず練習に励み、ようやく初先発となった9節のパレルモ戦ではアピールに成功したことから、11節の強豪ローマ戦でも当時の監督マンチーニから先発を約束され、その任務としてサラーのマンマークを告げられた。
パレルモ戦で結果を残したとはいえ、それはあくまでも下位チームが相手だっただけに長友自身もまだ自己のコンディションについては懐疑的だった。そのような自己不信の中でサラー対策に頭を悩ませていた彼は、何かに行き詰まると決まって訪れるミラノのバーに足を向けた。
そのバーこそ私が経営してる太鼓バー『TAKADA-NOBUHIKO』(格闘技イベント『PRIDE』のOPで太鼓を叩いていた高田延彦から取ったか)だった。店では客に対し徹底して老マスターの姿しか見せてこなかった私だが、酒の入った長友が「あー! サラーをどうすりゃいいんだよ!!」と店内にある太鼓を狂ったように叩き出したために、彼を落ち着かせる意味でもフッボル評論家という正体を明かし、サラー対策へアドバイスを送ることになった。
グーかパーかを見極めろ
そこで私はプロファイリングにより導き出していたサラーに対するある仮説を長友に伝えることにした。
名将「サラーがボールを持った時の手に注目するんだ。その手がグーだとすればヤツは縦にドリブルを仕掛ける。そしてそれがパーであればカットインだ」
長友「……チョキの場合は?」
名将「チョキをしながらプレーをする馬鹿がいるか」
そして長友はそれを忠実に実行してはサラーを封じ込め、私の仮説を見事に証明してみせた。しかし私は本来中立であるべきはずの評論家で、そのプロファイリングが現場に影響を及ぼすことはアンフェアだと考える。よって長友にはサラーの手の法則については口外するなと厳命したはずが、その試合からサラーのパフォーマンスが極度に低下していったことを思えば、おそらくすぐさま誰かにチクったのだろう。手の法則が全チームにまで浸透してしまったセリエAはまさしくサラーにとっては詰将棋のようなリーグと化してしまった。
プレミアにも法則が上陸する?
そんな自身のプレー意図が丸裸にされたリーグにおいてもベターな選手であり続けたということは、逆に見ればサラーが並みの選手ではないことへの証左であり、今のプレミアでの輝きがそれを物語っている。ただ私が今回のレポートでサラーの手の法則を暴露してしまったことで、プレミアでのサラーを取り巻く環境が変わってしまうかも知れないが、最初にチクったのが長友だということを強調しておいて私は筆を置くことにしたい。