新年、明けまして…
年が明けてもう半月以上が過ぎちゃったけど、新年1発目ということで一応の挨拶はしておこう。君たち、明けまして戦場のメリークリスマス、ってバカヤロ! …ということで今のは忘れてもらってだね、さっそく本題に入って行こうと思うんだけど、いやぁしかし、新年の頭に見た映画がまさか今年一番の映画になるとは思わなかったね。
もちろん2020年は始まったばかりで350日くらいは残ってるんだけど、個人的にはおそらくこの『パラサイト 半地下の家族』を上回るものはたぶん出て来ないような気がするね。
破の中に序を溶け込ませている
これも今流行りの格差社会を扱ったもので、ベネチアで金獅子賞を取った『ジョーカー』も格差や分断を背景に描いていたけど、このカンヌのパルムドール作品の方が遥かにその社会問題を映画的にコーティングしているし、監督の作家的な主張が『ジョーカー』みたいに絵から突き出たものじゃないから、押し付けがましくもなく程よく映像に馴染んでいるよ。
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ただそうした社会批評性や作家性という下手な評論家が言いそうな小難しいことは抜きにして、単純に映画として流れてくる映像や物語が抜群に面白かった。もうそれに尽きるね。どんな映画にだって波が寄せて返すようにダレるポイントってのは必ず何回かあるんだけど、この映画にはそれがほとんどなくて、ビッグウェーブに始まってビッグウェーブのままに閉じていく。最近は散々な映画しか見てなかったからその反動なのかも知んないけど、エネルギーも凄まじいものを感じたし、2時間強の長さを一気に見せ切ったのは見事と言うしかないね。
とにかく導入からして絵が面白い。「半地下の家族」と副題にあるように、主人公家族が暮らしているのがそのまま汚い半地下にあるアパートの一室で、窓から見える路地が目の高さくらいにあって、どこに住んでんだコイツらはってそれだけで画面に見入っちゃう。そんな変わった導入もソコソコに10分もしないうちに長男の友人がやって来て早くも物語が動き出すんだけど、序破急(三幕構成)で言えば序を単体で立ち上げるのではなく、破の中に序を溶け込ませているような感じで、これはオイラの作劇の信条にも通じるものがある。とにかくオイラは元来が芸人だからか妙に間というものに恐怖があって、とにかく導入の説明的なシーンで客に間というか「どうせ初めは人物紹介なんでしょ」的な緊張のない余裕を与えたくないんだよね。だから序破急において独立した序はいらないとさえ思っている立場なの。
臭いという現代特有の格差
少し話が逸れたけど、そこからしばらくはコメディタッチで底辺の主人公家族が高級住宅地に住むセレブ家族に巧みに寄生していくまでが描かれて、そろそろコメディ調に満腹感も覚えて客のテンションがやや下がり掛けてくる絶妙な頃合いにツイスト(ひねり)を決めてくる。つまり前任の家政婦が再登場して、ここからコメディの色調を残しつつもサスペンス調に移行して、客をもう一度新鮮な感覚でスクリーンに引き込んで行くんだ。とにかく客を飽きさせないようにと見る側を強く意識しているのがビンビンと伝わって、見ていて好感を覚えたよ。
それから前任家政婦の行動でこの豪邸にも主人公家族の住むアパートを思わせる隠れた地下室があることがわかって、いよいよ監督の作家性や社会性が画面に立ち上ってくる。簡単に寄生できたこともあって、逆に見下すことで隠れていたセレブ家族との社会的格差への実感が徐々に炙り出されて、主人公家族が潜在的に持つ貧困へのコンプレックスや怒りをマグマが滞留していくよう丁寧に描きながら、それをカタルシスでもってラストで一気に噴火させる。その噴火は一見父親の唐突な凶行なんだけど、その凶行にはしっかりとそれまでのシーンにおける感情線の緻密な構築があるから、さもありなんだと思わせてくれるんだ。
で、この噴火に至るまでの要因というか謂わば小道具的に用いられたものの一つが臭いで、これもいいところに目をつけているよ。確かに臭いは露骨に格差を表象するものであって、こう言っちゃなんだけど誰もが一度は臭いによってその人となりや経済的背景を想像してしまった経験はあると思う。「オレはその異臭側の人間だ」っていう人がいたら一応は謝っておくけど、そういった生理現象から来る蔑みってのは残念ながら香水や洗剤が手に入る現代社会ではある種の反射的な感情だとも言えるんだよ。その現代社会の歪みの象徴とも言える臭いの格差を映画で取り上げたのはセンス以外の何ものでもないね。
『ジョーカー』よりも内面描写が巧み
そうした社会性や作家性を帯びた作品ってのは何かと独りよがりに観客を置いて行っちゃう傾向があって、つまりエンタメ性が縮小しがちになるんだけど、この映画は作家性を感じさせながらも決してそれがエンタメ性とケンカしないように上手く融合させているどころか、むしろ相乗的に昇華させている。そこが『ジョーカー』と違って押し付けがましくなく刺々しい映像になっていない理由なんだな。
もっと言えば噴火したこの主人公の父親の方が『ジョーカー』のアーサーよりも内面描写は精巧だしね。この主人公家族は貧困だけれど、初めは家族みんながその生活を慎ましくも楽しんでいるようにも見えた。それがひょんなことからセレブ家族と交わることになり、そこに大きな格差を見出し、社会的弱者であるという自覚が自己を苛んで、俗物だった人間を狂気に走らせる。『ジョーカー』のアーサーのように終始狂人な人間は誰もその心情を理解できないから案外自由に描きやすくて、この映画の父親のようにそれこそ一瞬だったけど凡人による劇的な内面の転換を描く方がよっぽど難しいわけ。だからそれに成功したこの作品は『ジョーカー』よりも一段質の高いものに仕上がっている。
1つ不満を上げると…
いやぁ褒めてばっかりで何だか自分でも気持ち悪くなってきちゃったからあえて不満を一つ言わせてもらうとだね、あの豪邸の地下にいた前任家政婦の旦那の役者だけはどうも浮いて見えて仕方なかったな。オイラの個人的な事情かも知んないけど、この俳優がたこ八郎にしか見えなかったのよ。社会派な舞台劇に一人吉本新喜劇の役者が交じってるような感じで、どんなシリアスな場面でもこのたこさんが出てくると椅子から転げ落ちそうになるから、とにかく早く死んでくれと願ってたら、しぶとく生き残った上に大トリを務めるんだから、参っちゃったよ(笑)。
ということで、作家性や社会性は抜きにしてなんて冒頭に言いながらも色々と語っちゃったけど、何にせよこの映画は劇場で金を出してまで見る価値はあると思うから、仮に見にも行かずにこのレビューだけを読んでいる変わり者がいたら百聞は一見にしかず、その目で拝むことを勧めるよ。