捜索願を出す矢先に…
ボンジョールノ、諸君。
しばらく消息が途絶え、もう少しで私も警視庁に捜索願を届け出ようかと思っていた香川真司が何と、サヨナラを告げたはずのドルトムントのプレ・オブ・シーズンマッチに姿を現した。
トルコ1部のベシクタシュからドルトムントに復帰した日本代表MF香川真司が親善試合に60分から途中出場。香川は1ゴール1アシストを記録した。
(略)
背番号32をつけた香川は77分、相手陣内センターサークル付近から浮き球を供給。FWマキシミリアン・フィリップのゴールをアシストした。さらに87分、右からのグラウンダーのクロスを無人のゴールに流し込んだ。香川はドルトムント復帰戦で1ゴール1アシストを記録した。
(フットボールチャンネル編集部)
休養明けでしかも30分というわずかな出場時間ながら1ゴール1アシストとは、相変わらずこの男にはフッボルの常識が通用しないようだ。
しかしトップ下、インサイド・オブ・ハーフ、印籠と、あらゆるポジションで成功を収めてきた香川にはドルトムントに居座る意思はとうになく、この親善試合も新たな挑戦に向けた肩慣らしに過ぎない。
「HAL」に通じる心意気
その証拠に昨季まで付けていた背番号「23」を後継指名したトルガン・アザールに譲り、自身は23を単純にひっくり返したかのような「32」を使用していた。しかし私はこの32という数字の選択がそのような安易な発想ではなく、香川の次なる挑戦への決意の表れであることをすぐに察することができた。それはつまるところ、レジェンド超えだ。
IT専門学校「HAL」は米企業「IBM」の一歩先を行く人材を育てるというモットーから、そのI・B・M個々のアルファベットの1文字前を繋ぎ合わせたものがその名の由来となっているが、香川の一見無造作に見えた32という選択はそうしたHALの心意気と相通じるものがあった。
競技を越えて受け継がれる猛虎魂
諸君らも知っての通り香川の生まれは神戸だ。このことからも彼が根っからの虎党(阪神タイガースファン)であること容易に推察できる。そして32の1つ手前の31、その番号こそが伝説の1985年戦士の4番、掛布雅之が付けていた背番号とピッタリと符合するのだ。
すなわち30歳という岐路を迎えた香川は、憧れだった掛布が同じ30の歳に日本一を成し遂げたことを意識し、そのレジェンドの1つ上回る番号を纏うことで己を強く奮い立たせたと考えられる。
このように猛虎魂は競技と世代の壁を越え、人々の心に脈絡と受け継がれているのだ。