本田圭佑のACミランへの移籍が成功だったか否か、それは今でも世界のフッボルファンの論争の的となっているが、ここに来てそれは一定の成功を収めたのではないかという論調が広がり出している。
マジョルカの日本代表MF久保建英に対し、ACミランがレンタルをオファーしたと報じられ、18歳のレフティーの去就が一層注目度を増している。近年のセリエAではMF本田圭佑(ボタフォゴ)がミランで10番を背負って3年半在籍したが、久保への評価を図る指標として、改めてイタリアでの“本田評”を訊いた。
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イタリア紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」のマルコ・パゾッティ記者は、「本田は何枚かのユニフォームは売ったかもしれないが、ミランの経済バランスを大きく変えたわけではない」とマーケティング面の劇的な貢献はなかったとしつつ、選手としては評価していたという。 「本田は良い選手だった。私は高く評価する。残念だった。とてもプロ意識が高かったし、真面目な選手で、ベンチにいても沈黙を保っていた。プロとしては完璧な選手だった。私は彼に(本拠地)サン・シーロがブーイングをしたのが忘れられない。彼がブーイングを受けるなら、他にもっと受けなければならない選手たちがいたはずだ。それなのにみんなが彼のせいにした」
(FOOTBALL ZONE WEB)
私も本田の移籍については失敗とはいかないまでも、決して成功とは言えないというネガティブな評価であったが、時を経て様々な事象を勘案するに、本田のミラン入りは成功だったとの結論を得ることができた。
というのも本田を純粋な戦力として見れば、目立った数字もなく失敗という烙印が押されることも理解できるが、しかしクラブ側にそうした戦力としての獲得の意図がなかったとすれば、一気にその認識が改まることになる。
ここで日本人の諸君らはやはり「商業目的だったのか…」と失望するかも知れないが、そもそもミランは日本においても馴染み深い伝統的なビッグ・オブ・クラブであるため、ミラー(ミランファン)は全国津々浦々に存在し、マーケットとしては既に開拓済みなのだ。よって商業目的だという指摘は的外れだということがわかる。
では戦力でも商業目的でもない本田をなぜミランは欲したのであろうか? それは上に引用した記事中の「彼がブーイングを受けるなら、他にもっと受けなければならない選手たちがいたはずだ。それなのにみんなが彼のせいにした」というくだりにヒントがある。すなわち、ミランは本田をスケープゴートとして獲得したのだ。
当時のミランの選手たちは二流や三流の肥溜めで、一朝一夕でチーム事情が好転するような状況にはなかった。そこである程度のスパンを想定してチームを再建していく方針が取られたが、その途上ではもちろん成績は伴いづらく、ミラーからの凄惨なブーイングが起きることは必定となる。
しかし選手とて一人の人間だ。ブーイングや誹りを受ければ心に傷を負い、パフォーマンスが落ちては時間が経ってもチームは浮上することもなく、そしてまたブーイングを浴びるという負のスパイラルに陥ってしまう。
そこでチームの再建途上では誰か1人に批判の矛先を集中させ、他の選手らの心理的ストレスを軽減させる必要があった。そこで白羽の矢が立ったのが、本田だったのだ。
そうした意味ではミランのスカウト陣が本田の強靭なメンタルに目をつけ、その役回りを与えたことは称賛に値する。実際に本田は後年において、以下のように自身の天命について語っている。
「誹謗中傷をする人へ」
弱い人を狙うな。
誹謗中傷はやるなって言ってもなくならないし、なのでやってもいいからちゃんと強い人を狙うこと。「結論」
俺んところに来い。そして末長く誹謗中傷のプラットフォームとして使用してください。— KeisukeHonda(本田圭佑) (@kskgroup2017) May 23, 2020
「弱い人を狙わずに俺の所に来い」。その言葉通りにイタリアでは老若男女のミラーが鳴り物入りで入団した外国人助っ人である本田に罵声を集中させ、彼も見事にそれを受け止め切り、イタリアを去って行った。まさにクラブ側が期待したような働きを彼は完璧にやり遂げたのだ。これを成功と言わずして何と言おうか。
そう考えれば仮に今季、本田がボタフォゴではなくテラス・オブ・ハウスに移住していれば木村花さんの命を救えた可能性があったと思うと、悔やんでも悔やみ切れないものがある…。