ボンジョールノ、諸君。
雨上がり決死隊の宮迫博之とロンドンブーツ1号2号の田村亮の一連の反社会的勢力に絡んだ謝罪会見を見て、私は頭がクラクラしてしまった。なぜならそこに晒された内容がとても他人事とは思えなかったからだ。彼らの会見を媒介とし、今私が動かそうとしている山が何と巨大なことかと、改めて思い知らされたのだ。
日本の芸事は浅草弾左衛門の昔から、フィクサーなしではどれほどの技量があろうとも芸能者個人では興行の一つも打てなかったそうだが、そのような因習が21世紀の今日もなお続いていることに私は驚きを禁じ得ない。
聴衆を沸かす演者側の権利が軽んじられ、裏方であるマネジメント会社側に歪なほど内外における権限が集中している。米国では俳優らにも組合があり、労働契約をする際には相手側に対して一定の報酬や福利厚生を保証させるほどの力を有しているが、残念ながら日本の芸能界にはそのような互助団体は見られない。
これはまさしく私がいる業界そのものの姿とも重なる。選手らの権利や発言は封殺され、フッボル界の吉本興業ことFIFAはオイルマネー欲しさに灼熱のカタールを2022年のワールドカップ開催地に選定してしまった。
専門家により死者が出ることが懸念されたため何とか冬開催へと漕ぎつけたが、開催地の決定時点ではあの老害連中どもは選手らの生命を商業主義の生贄に差し出していたのだ。一体、選手たちの人権はどこに行ったんだ? 健康で文化的な最低限度のフッボルを営む権利はもはや空文と化しているのが現状だ。
だから私は命ある限り叫び続けたい。フッボルをフッボル足らしめているのはピッチ上にいる選手たちだと。決して冷房の効いた会議室にいるバイ・オブ・アグラに頼らなければならない枯れた連中どもではないのだと。
さあ、今日もあの言葉を叫ぼう! FIFAをぶっ壊す(ニッコリ)! さあ、諸君らもだ! FIFAをぶっ